「月見のおわら」と飛騨の旅             2011 9/2324

9月23日朝8時 新宿を出発したツアーバスは、連休で混雑する関越道を富山へと向かった。

 

20年ほど前小林治の小説で知った越中富山「おわら風の盆」は、是非行きたいと思いながらも機会がなく、「行ってみようか」と話がまとまったのは退職後入学した東京農大成人学校の仲間との酒の席であった。

ツアー会社の企画イベントで「月見のおわら」があることを知り、本祭りの大混雑ほどではなく写真撮影も可能とのこと。

それではと有志を募ったところ一泊二日の旅に12名が集まった。

 

長野インターから北に向かい白馬高原のオリンピックシャンツエを左に見てさらに北上、糸魚川で日本海が開けた。 

北陸道を富山インターでおりて八尾(やつお)の町に着いたのは17時を回っていた。  

ホテルの夕食もそこそこに眼下の清流を渡り対岸の八尾の町へ急ぐ。

家々の明かりを落としたゆるやかな石畳の坂道の両側にはぼんぼりの列と大勢の観光客がすでに祭りの開始を待っていた。

19時  町筋6か所から同時に街流しが始まる。

男女の踊り手、演奏の地方(じかた)総勢約50名の着物や地歌と踊りは町内ごとに異なり、見ても聞いてもそれぞれ趣のある演出であった。

あくまでも緩やかな胡弓の音色と、控えめな三味線と太鼓に合わせて静かな動作の女踊りは、笠に隠れて顔が見えないだけ指先と足もとのしなやかな動きに目が離せない。

対象に男踊りはきりりとした動きの中の緩急が見ていて気持ちが良い。時折見せる歌舞伎の見栄のような仕草も楽しく、どこか男の色気すら感じてくる。

念願の「おわら」は町の雰囲気も含め満足のゆくものであった。

 

撮影の方はフラッシュ禁止、光量不足で動きについてゆけず、最大限のISOに頼っても数枚が使える程度であった。せめておわらを網膜に焼き付けたことで 良し としよう。

(飛騨古川)

約10年前のNHK朝ドラ「さくら」の舞台になった飛騨古川は八尾から飛騨路を南に1時間の所にある。

白壁土蔵と清流を泳ぐ鯉で有名。溝に雪を流すため鯉は山へ冬の間移住をするそうだ。

古川は初めての訪問だが古い街を大切に使い、裏道に至るまで手入れの行き届いたこの町がすっかり好きになった。

(飛騨高山)

古川の隣町でもこれほどの違いがあるかと思うほど、韓国語が飛び交う高山は落ち着かなかった。

いっそ厳寒の時期に来た方がこの町らしい雰囲気を味わえるかもしれない。

観光路をすこしはずれた裏通りに小さな蕎麦屋を見つけ、ざるそばの大もりを頼んだ。蕎麦の店では珍しくカウンターの前の大釜で丁寧にゆでられたそばは見事だった。

ごく細でしっかりしたそばのシャキとした食感と、媚びたところのないつゆも食後の濃い蕎麦湯にも負けることはなく

とにかく旨かった。

 

 

 

 

飛騨高山を13時に出発。 

乗鞍岳の下から梓川の激流沿いに松本経由で渋滞の中央道を経て、新宿に着いたのが21時をすこし回っていた。

ツアーコンダクター嬢の明るさと気配り そしてメンバーとの楽しいおしゃべりに加えて適度のお酒で渋滞もあまり気にならず、快い疲労感と共に次回の企画を約して1200キロの楽しい旅は終わった。

2日間の秋晴れに恵まれ「雨男幹事」の汚名返上が何よりであった。  

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